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インドネシア通信 『変遷するブロックM』…の巻   神谷典明

 

ブロックMが日本人租界とかリトル東京と言われるようになったのは

40年程前からでしょうか…

小職は44年前の1979年からブロックMで飲んでますが、その頃はまだ

日本料理屋もカラオケも少なく、とてもリトル東京とは言えませんでした。

日本料理は『割烹YUKI』のみ、カラオケもハナコ(花虎…今は慈恵と改名)と

『ビストロユキ』だけでした。

我々若造は遊蔵という店の在った場所に位置していた『シンギングパブ』や

今のブロックMスクエアーの2階に在った『タンカード』、はたまた

ブロックMバスタームナルの向こう側に在った『ダンボラー』というディスコで

飲んでいました。

金のない時はバスターミナルに隣接した屋台で赤貝を肴に生ぬるいビールを飲んでました。

赤貝は茹で加減を指定できました。茹で加減70%では硬くなって不味いです。

茹で加減30%が美味しいですが、当たったら即地獄です。

キリキリと差し込む腹痛と上下出放題となり救急車で病院送りです。

『リトル東京』や『日本人租界』とは誰も称しておりませんでした。

 

『花虎』は多くの綺麗なホステスを抱え8トラックの『ガチャンと入れるカラオケ』

で歌をデュエットさせてくれました。

中年日本人紳士達の社交場でデビ夫人が美川憲一を連れて来られたことも有りました。

『ビストロユキ』は小さな店でホステスは無し、3人のウエートレスが飲み物や

ガチャンで歌を提供してくれました。ホステスは居ないのですが女性客が居り、

店内で自由恋愛が出来る店でした。

素寒貧の若造でもここでは飲めました。ここで飲みたかったのです。

その理由は、女性客と目が合うと傍に寄って来てくれるからです。

気が合えば近くのインターハウスやプラパンチャホテルへしけ込む事も可能です。

時間が経つに従い女性客の言い値が下がって来ます。売れ残りを懸念するからです。

彼女達もジュース代を払って店に来ている客です。コストが掛かっているのです。

売れ残ればジュース代も帰りのバス代も自腹となってしまいます。

そうならない様に22時過ぎ頃からディスカウント合戦が始まるのです。

でも、これを待っていると他の客に獲られて臍を噛むことも有ります。

『リスク』という言葉をここで身をもって学びました。

 

こんなブロックMにいつの頃からか日本料理屋が増え高級カラオケクラブも出現。

そして接待費で飲む商社マンが多く来て日本人租界と呼ばれるようになってゆきました。

カラオケの代金はインドネシア労働者の一か月分の給料ぐらいでしたから

当然インドネシア人が足を踏み入れる事は有りません。

日本商社マンが肩で風切って闊歩する街、まるで日本で飲んでいるがごときでした。

カラオケは個室、気に入った女の子を横に座らせ、一緒にデュエットを楽しむ。

女の子も日本の歌を勉強してます。

(小さなノートにアルファベットで日本の歌詞が書いてあります)

こんな店が雨後の筍のように出来、一棟が全てカラオケというビルも出現しました。

料金は日本で飲むよりずいぶん高いです。

酔ってしまえば何を付けられたのか分からない状態で支払います。

翌朝レシートを見てビックリ。

女の子は決められた時間以上に指名が無いと馘になります。だから必死です。

馴染みの客をホステス同士が取り合うことも有りました。

その際の決め台詞は、『私の財布を盗るな!』(今では私のATMを盗るな…)

 

インドネシア人からは伏魔殿の如く気味悪がられておりました。

何せ動く金が違い過ぎます。だからインドネシア人は足を踏み入れません。

そんなインドネシア人に対しブロックMに店を構える日本人オーナー有志が

『ブロックMは怖い所じゃないよ!』

とアピールする為に、私設日本フェスティバルを催しました。

名付けて『縁日祭』

第1回こそ淋しかったですが、回を追う毎にインドネシア人が集まりだし

実に盛大なお祭りに成長しました。

インドネシア人に日本の文化を紹介するという触れ込みなので、御神輿が出る、

コスプレが来る、屋台にはラムネやりんご飴も売っている、JKT48が来るようになり

益々来場者が増え、ブロックM域内の道は身動きできなくなる程でした。

 

 

そしてコロナ禍です。

日本人が居なくなりました。客足の絶えた店は閉めます。何せ賃貸で店をやっておりますので。

小職行きつけの日本料理屋『穂香』も閉まりました。カラオケに至っては何をか況やです。

そんな中JICAの旗振りで建設された都市交通『MRT』が開通しました。

地下鉄ですので渋滞なし。オフィス街のタムリンから10分程度でブロックMへ来られます。

タムリンに事務所を構える大会社高給取りがMRTに乗って昼食を食べに来始めました。

日本食のランチ700円~1000円程度が売りものです。

ネットで流れる口コミで土日には一般のインドネシア人も来るようになりました。

憧れの刺身や寿司が食べられます。インドネシア人の客がドンドン増えました。

店によっては入場制限をし始めました。それが呼び水になって益々客が増えます。

この好循環でインドネシア人客が飛躍的に増えました。

店で聞こえるのはインドネシア語ばかり、日本人は少数派になってしまいました。

『縁日祭』を催してでもインドネシア人を呼び込もうとしていた店にとっては嬉しい事です。

 

ところが一つ問題があります。インドネシア人は濃い味が好きなのです。

サンバルという辛子ソースを真っ赤になるぐらいかけてマックやKFCを食べる人達です。

ワサビを入れた皿に醤油を少し垂らただけ。ワサビで刺身を食べる人達です。

彼等は食材そのものの味よりもBUNBUと称する調味料で味つけしたものを好みます。

当然、店側も彼等の嗜好に合わせて味を濃い目に調理します。

これが日本人にはダメなのです。

名だたる日本料理屋が皆インドネシア人に合せて濃い味になって行きました。

塩味もしょうゆ味も全て濃いので辛いです。これでは日本人は離れます。

インドネシア人ばかりに見えるのは、インドネシア人が増えた事も有りますが

日本人が行かなくなった結果でもあるのです。

 

こうしてブロックMに集う日本人は減る一方、最早日本人租界とは言えません。

縁日祭を催さなくてもインドネシア人は集まって来ます。

お店は客が入ればそれが日本人でなくとも構わないでしょう。

かくしてブロックMはジャカルタの新宿と言いましょうか、渋谷と言いましょうか…

日曜日には結婚披露宴に飾るスチール写真を撮るカップルが来るほどのスポットです。

ジャカルタの最先端を行く街『ブロックM!』

 

こうして45年の月日を掛けてブロックMはインドネシア人の街へと回帰したのです。

果たして我々日本人にとっては好ましい事なのか、はたまた否か!?