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インドネシア通信 『南方ボケ、インドネシア流生き方』…の巻き

 

インドネシア人は暑い中で生きているので怠け者だ、という意見が

日本人の間で聞かれます。

『南方ボケ』、という言葉がこの意見を見事に言い表しております。

 

日本人は冬があるのでそのためにせっせと働いて蓄えを作るのだ。

インドネシア人も見習うべきだ。

金が入ればさ~と使ってしまいあとは神任せ、 『Insya 'Allah』

(インシャ アラー …神の思し召しのままに…)

これでは進歩がない。やはり暑い国は発展しないのか…。

 

という論調です。いまだにこの意見を吐く日本人駐在員は多いです。

 

ここで問題です。

 

『せっせと働かなければ食って行けない人間と、

    午睡をしてても生きてゆける人間と、どちらが豊かですか?』

 

…働かなくとも生きてゆける方が豊かではないでしょうか?

 

庭には果物が植わってます。実を採ってくれと言ってます。

裏の池には魚が泳いでいます。身を獲ってくれと言ってます。

自分で食べてもいいですし売ってもいいです。

売れば現金が貰えて欲しい物が買えます。

一年中こんな調子でこの回転が絶える事は永遠にありません。

 

飢餓という言葉(Kelaparanクラパラン)という言葉はありますが

餓死した話を聞いたことがありません。

派手な生活を望まなければ寝ていようが怠けていうようが生きてゆけます。

 

こんな国に冬のある国の人が指導に来たのです。

 

目の前に穴が開いているのに何故真っ直ぐ進んで落ちるのか!

泥縄は駄目だ!

『起こることを予期して事前に準備しなければ駄目だ、段取りを考えろ!』

頭を使え!

頭を使え!!

頭を使え!!!

 

彼等は思います。

『なぜ起こってもいないのに起こることを想定して余分な仕事をしなければ

 ならないのか…?起きたらそのとき対処しても何とかなるだろう…

 なんともならなければ諦めればいいじゃないか、死ぬわけじゃあるまいし。』

『どうしてそんなにシャカリキに生きるんだ?

                人生は楽しむものであって苦しむものではない』

 

 

このギャップは埋まりません。

日本人がストレスで胃を壊して帰国することとなります。

耐えた人は帰国後『南方ボケ』という有り難くもない称号を与えられます。

 

 

どちらの言い分も正しいと思います。

一年中暑い国ですからおのずとそれなりの生活リズムがあります。

それが日本人の目にはダラダラと怠けているように写るのでしょう。

昔、製材指導に来てくれた顧客が工場の人間の動きに切れました。

『何をタラタラしてるんだ、お前等は!』『仕事はこうするものだ、見ておれ!』

タラタラしない、キビキビとしたその人は3日後に過労で倒れました。

 

日本に居れば日本人の言い分は正しいです。

  …そうしなければ生きてゆけないのですから。

インドネシアではインドネシア人の言い分が正しいのです。

  …そうしなくとも生きてゆけるのですから。

インドネシアで日本式思考と管理をしようとすることが間違いなのです。

 

人の国に来て、何を偉そうに自国の方針を押し付けるのですか?

日本では正しいこともインドネシアでは正しくないのです。

どうしてそれが解らないのですか?

 

インドネシアで日本式を強行すれば倒れるだけです。自然が過酷なのですから。

その国にはその国独自の生きてゆく知恵があるのです。

午睡は怠けているのではありません。そうしなければ体が参ってしまうからです。

(昔の日本人なら午睡の利点を知っていると思います。)

タラタラしているのではありません。これがこの国で生きてゆけるリズムなのです。

これを理解しようとしない日本人が間違っているのです。

 

人の国に来たからにはその国の人々、文化、風習に先ず慣れて理解した後に

初めて自分の考えを表明すべきだと思います。

この努力をしないから『南方ボケ』という言葉が出来たのでしょう。

日本に居る上司は南方で暮らす駐在員の過酷な精神状況を理解できないでしょう。

一生懸命インドネシアに溶け込みインドネシアを理解しようと努力してきた結果、

インドネシアの風土に馴染めた駐在員を『南方ボケ』という一言で切り捨てたのです。

 

小職はもと居た会社の上司に

『よくぞ南方ボケしてくれた。君は立派な駐在員だ!』、と言え、と強要して、

こっぴどく叱られた事があります。

 

今回、ジャワに在る会社の従業員に、『日本へ研修に行かないか?』、と聞きました。

『給料は日本での住居費、食費を除いて10万円を保障する。

 ルピアに直せば1000万ルピアの月給だぞ!』と、月給200万~300万ルピアの

従業員達に胸を張って伝えました。 応募者は、ゼロ、でした。

『長く家族と離れてまでお金を稼ぐ気にはなれない』、というのが彼等の答えでした。

『生活とは家族と一緒に生きること』、彼等はこの一点を守っているのです。

遠くインドネシアの地まで家族を置いて出稼ぎに来ている小職への痛烈な批判に

聞こえました。

   『お前は家族を犠牲にしてまで金を稼いで、一体どうする気なんだ?』

   『家族と過ごすことが即ち幸せなのに…』『金を得るのが幸せか?』

 

人生も終盤を迎えるというのに家族と過ごすこともまま成らない自分が

一体インドネシアの人に何を教えられるのか…

 

インドネシアは自然の豊かな国です。

インドネシアの人々は豊かな自然に抱かれて生きてゆけるのです。

あくせく働かなければ生きてゆけない世知辛い日本人の浅知恵では理解できないのが

当たり前。

 

家族と一緒に自然の懐でゆったりと流れる時間に身を任せて生き、寿命が来れば

家族に見守られて旅発つ。

動物として、生物として、生きとし生けるものの基本そのままに生きるインドネシア流に

憧れます。

 

 

(せめて引退したならば、この地での安らぎを、老妻と一緒に味わってみたいものです。)