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インドネシア通信 『チャップゴメ』…の巻き

 

チャップゴメってご存知ですか?

(チャップは10)、(ゴは5)、…つまりイムレック(シナ正)から

15日目のお祭りです。

イムレックがシナ正開始日、チャップゴメはシナ正終了日です。

(日本で云えば門松の取れる日です。)

 

中部ジャワの工場で仕事をし疲れて帰ったホテルでうつらうつら、

眠気まなこで見ていたインドネシアTV放送に我が目を疑いました。

スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領御夫妻らしきお方が、赤い服を

召されて祝いの席に座られているお姿が映されていたのです。

『ン、何だ?』

何故大統領夫妻が赤い服を着ているのだ?これは何のセレモニー?

 

その日がチャップゴメだとは気付きませんでした。

インドネシア共和国大統領御夫妻が赤い服をお召しになられて

チャップゴメの式典に御臨席なされたおられたのです。

 

我が目を疑いました。

大統領が華人の儀式に…???

有り得ない!!!

これは夢か?、はたまた、うつつか?

 

目覚めて『うつつ』であることがはっきりしました。

 

1988年以前、スハルト時代のインドネシアはチャップゴメどころか

イムレック(シナ正)でさへも隠れてこそこそ行っていたのです。

丸太積みでカリマンタンの北の端、サバとの国境の町ヌヌカン島へ

行った際、シッパーの華人から夜の飯を家で喰おう、と誘われ彼の

自宅へ行きました。

彼は独身でしたが、ご両親、兄貴一家、叔父さん、叔母さん達が

大勢来られておられました。

そして家の中で大勢でいつもより少し豪勢な食卓を囲みました。

『今日は何の日?』、『ご両親の誕生日?』

答えは否、『春節、中国正月のお祝いだよ』

春節といえばシンガポールでは街の中を中国獅子舞バロンサイが

走り回り、爆竹が炸裂する、夜空には花火が上がるそれはそれは

賑やかなものでした。

インドネシアは何と地味な、爆竹も鳴らさないし外へも出ない、

締め切った家の中で外から見えないようにして一族だけでお祝いを

しているのでした。

田舎のヌヌカン島だから?

そうではありません。全ての地域でこうだったのです。

小職が住んでいたタラカン島ではついぞ春節のお祝いを見かけた

ことがありませんでした。

偶然ヌヌカン島に停泊中の船に客として居たので、彼等に招かれ

個人的なお祝いを目にすることが出来たのです。

レバラン(イスラム正月)は旗日でしたが、イムレック(シナ正月)は

普通の日でしたので、これを祝うという事さへも知りませんでした。

 

華人は派手に振舞うことを謹んでおりました。

漢字新聞も漢字広告も華人学校も禁止でした。

華人は経済を牛耳るも、それ以外の世間では借りてきた猫のように

他人の国でひっそりと目立たぬ様生きていたのでした。

 

友人の華人が親父の代の家を建て直しました。

親父はタラカンの金屋でした。

その親父から金の塊一個を貰い木材ビジネスに乗り出した20歳の

彼が原木相場で大当たりをしたのです。

儲かって儲かって、金塊が家の金庫に入り切らない様になったのです。

小職も商売の駆け引きに負け、金塊一個ぐらいをプレゼントしました。

その儲けで家を建てたのです。

招待されて始めて知ったのですが、新しい家は、親父が建てた古く

小さな家の裏に表通りから見えないようひっそりと建てられたのです。

折角新しい家を建てたのに、取り壊しもせず古い家で隠したのです。

当時、インドネシアの華人はこんなにも気を使いながら生きたのです。

 

『目立たぬよう、ただひたすら、目立たぬように…』、

これが彼等の生き方でした。

 

そんな彼等に転機が訪れました。スハルト政権の崩壊です。

スハルト大統領現役時代に西独のメッサーシュミット副社長で

あったものをインドネシアへ呼び戻され、副大統領にされていた

技術者のハビビさんがスハルトさんの後を継がれました。

その彼が初めて民主化の名の下に華人に対する制約を取り

外し始めたのです。

その後、漁夫の利を得て思わず大統領になってしまったイスラム

宗教界の指導者で、世界唯一の盲目大統領、ワヒッド政権が

それを継ぎ、

更にはスカルノ復権の象徴となったメガワティ・スカルノ・プットリ

(スカルノの長女メガワティ、という長い名の)大統領が継続し、

更にはそれを選挙で破った現スシロ・バンバン・ユドヨノ政権まで

歴代の政権は華人取り込みを図っているとしか思えないような、

華人ヨイショ政策を採り続けて参りました。

 

その象徴が現ジャカルタ特別州副知事のアホック氏です。

彼は見るからに中国人という容貌を持つ純粋な華人ですが、

政治の世界に飛び込んで来ました。

華人は経済、プリブミ(インドネシア土着民)は政治、

というのが今までの常識で、華人は政治に手を染めぬものでした。

マレーシアのブミプットラ(大地の子)政策も似た様なものです。

これが崩れ出しました。

経済は元々華人が牛耳っているので、華人に政治にまで口を

出されるとプリブミ優遇策が崩れ出します。

それでも華人が政治の世界に飛び出してきたのです。

 

共産党独裁を嫌って中共から逃げ出し、必死で海を渡り、辿り

着いた地でやっと根を生やした(落地生根)華僑(移住地の国籍を

持たない流入中国人)第一世代達は、子の世代、孫の世代と

長い年月を耐え忍び、やっと生根した地の国籍を得て華人

(国籍を持った中華系国民)となりました。

彼等には『陰(経済)で国を牛耳るも、表(政治)の世界には出ない』、

という、生きんが為に大切にする『暗黙のルール』がありました。

 

これが孫・ひ孫の代になって消え始めているのです。

経済的力を見せ付けるがごとく、他人の目を惹きつける超豪邸に

平気で住み、ベンツどころかロールスロイスやフェラーリ、カウンタックといった

インドネシアでも数える程しか無い豪奢な車に乗り、超一流のレストランで

食事をします。平気でプリブミの子守を幾人も引き連れて…。

         (勿論、子守は幼子の世話で食事も出来ません)

 

小職の目に付きます。

祖父や親父の代の、慎ましやかな生活態度を知っているだけに鼻に付きます。

インドネシア・プリブミの目にはどんな形で映っているのでしょうか?

気になります。

気掛かりです。

心配です。

不安です。

 

歴代政権がすり寄って来たのは華人の経済力を取り込みたかったから

でしょう。

チャップゴメの式典に大統領が出て赤い服を着、華人の功績を称え、

『同じインドネシア人として一緒に頑張りましょう!』、と述べる底意は

見え見えです。

『経済力だけを提供せよ』、と暗黙のうちに言っているのです。

『政治力はおれ達のもの』、と暗黙のうちに言っているのです。

世間の動きに敏感な華人が、何故この点に留意しないのでしょうか?

不思議です。

世代交代が、民族共生の為の『暗黙のルール』を忘れさせている、

としか思えません。 慢心です。

 

お祖父さんの世代が海を渡って知らないインドネシアへ落地生根。

親の世代が苦労の果てにやっとファミリー企業を興し、

欧米留学から帰った子供達が一緒に手伝って飛躍させた華人社会。

果たして、曾祖父さん達の落地生根に賭けた辛苦を見ていないひ孫の

世代が、これからのインドネシア華人社会をどうするのでしょう?

 

『大統領の言われる通り、おれ達も正式なインドネシア国民だ、

政治に口を出す権利を有している、これを使って何が悪い!』

 

そうです。その通りです。間違ってはおりません。しかし…

 

『インドネシア国民の9割を占めるプリブミの人達が、果たして

   心より貴方達のことをそのように思ってくれているのでしょうか?』

 

『目に余る振る舞いをして、再び、プリブミによる反華僑暴動を招き、

    折角のインドネシア大発展に水を注すのだけはヤメテ!!!』

 

…と、外国人だから見えてしまう、小職の心が叫んでおります。

 

 

 

追伸)

華人旧世代の例外はボブハッサン氏です。

彼は、スハルト大統領の庇護を背景に一時期インドネシア政界を

牛耳ろうとしました。

メッカ巡礼に行きモハマッド・ハッサンと呼ばれ、イスラム世界に溶け込み、

スハルトの愚息達を利用して政治力を駆使していました。

陰で彼のことを、『HITACHI』…(Hitam Tapi China黒いけど中国人)

と彼のことを蔑んでいた人々だけが華人であることを見破っていたのです。

(そうです。 あの、日本向け合板を独占した、人です。)