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インドネシア通信、『イムレックに想う事』...の巻    神谷 典明

小職は太陰暦で祝うシナ正月を本当の正月だと思っております。
今年は1月28日がシナ正月の元旦に当たるそうです。
小生は『運勢』というものを信じます。
勿論『運勢』だけで物事が動くとは思っておりませんが、
頑張って、頑張って、頑張り倒した結果が吉凶いずれとなるかは、
『神のみぞ知る』、です。
そして、この1点に関してのみ、『運勢』を信じます。
そして運勢の転換点はシナ正月なのです。
(1月1日に引くおみくじでもシナ正月から有効だと思ってます。)
 
インドネシアでも
・華人(華僑で国籍を取得した人)はシナ正月(イムレック)を祝います。
・イスラム教徒は断食明けのハリラヤをイスラム正月として祝います。
・キリスト教徒はクリスマスを正月として祝います。
つまり1月1日を心から祝う人は限りなく少ないのです。
カレンダー上tanggal merah(タンガルメラー赤い日、祝日)扱いに
なっておりますし、最近はカウントダウンをしたり花火を上げたりして
若い人が騒ぎますので昔とは状況が異なって来ましたが、
タラカン島に居るころ小職が1月1日御年始廻りに伺いますと、
『何しに来た?』と怪訝な顔をされたものです。
各人種宗教それぞれに正月が有り、宗教的に公平な扱いをしている
インドネシアではTanggal merahが昔と比べ大変増えております。
(昔はイスラムの祝日のみtanngal merahでしたので。)
 
この様な御目出度いシナ正月、我々の運勢にも大きく関連している
(と小生が思っている)シナ正月が今年は1月28日なのです。
(太陰暦なので元旦は年によって1月21日頃から2月20日頃の
間で前後します。)
今年は1月12日にジャカルタへ向かい27日に帰国しますので
シナ正月の元旦28日を日本で家族と一緒に祝えます。
昔、インドネシアの北の果て、ヌヌカン島で船積み中、原木を売って
くれた華人が『船を降りよ』と言って彼の家に招いてくれました。
そこには彼の両親や兄弟おじさんおばさん等大家族が集まっており
ささやかな宴会が催されておりました。
小生は事情が解らずキョトンとしていると彼が言いました。
『今日はシナ正月(イムレック)だよ』
 
スハルト政権からの締め付けで当時はイスラム正月以外の正月が
認められておらず、特に華僑(当時はまだ居た)華人に対しては
厳しい目が注がれていたのです。バロンダンスも爆竹も有りません。
彼等はひたすら目立たぬ様ひっそりと生活しておりました。
その時彼が言いました。
『俺達がどうして守銭奴みたいに金を稼ぐか分かるか?
  それは暴動が起こった時、金をばら撒き、その隙に
家族を逃がすためだよ』
 
そのとき初めて他人の国に住む華人の悲哀と覚悟を感じました。
彼等の金稼ぎは贅沢の為ではなく、命を繋ぐ為だったのです。
金を稼げない男は家族を守れないのです。
金が無ければ暴徒から愛する家族を守れないのです。
家族を守れない男は、どんなに美男子でも男としての価値を女性から
認められないのです。
こんな厳しい華人の生き様を目の当たりにして、
『華人の男は稼いで何ぼ』、『華人の女は金が全て』
と日ごろ守銭奴のごとき言動をする彼等に違和感を感じていた自分を
恥じたものです。
 
そんな彼らが正月として楽しむのがイムレック(シナ正月)なのです。
ジャカルタの、特に華人の多く住むコタ地区は赤色一色に染まります。
今ではバロンダンスを見て爆竹を弾けさせても誰も咎めません。
それよりも政権が華人にすり寄る姿さへも見られるのです。
小職はイムレックの夜、TVで見た華人主催シナ正月パーティーの席で
招かれた当時のスシロバンバン大統領夫妻が、赤い服を着ていたのを
覚えております。
その時の驚きたるや、『夢を見ているのか?』と思った程です。
とうとうインドネシアもここまで来たか・・・
スハルト政権時代を知っている者として、政権の余りの変貌に驚きを
隠せませんでした。
この流れは今にも続いており、『政治はインドネシア人、経済は華人』
と自分から身を処して、華人は儲けるだけ、政治向きには一切口を
出さぬ様にしていた昔の華僑・華人の姿と重ね合わせて、時代の流れを
深く感じております。
 
家を建てるのにも前のぼろ家を敢えて取り壊さず、その後ろにこっそりと
立派な家を建て、通りから見えなくしていた華人の親父たち。
汚い木造ぼろ家の中を通り過ぎて裏にあるレンガ積みの立派な家に入って
一緒に青春時代を謳歌した若者たちが今の世の中を支えております。
彼等の子供たちは暴動の怖ささへも知らないで育ってきております。
華人は政治にも進出し、今年の2月にはジャカルタ特別州州知事選挙に
現職のアホック知事が再び立候補すると思いますが、隠れて生きようと
していた親の世代の、つつましやかな態度は微塵も感じません。
華人(経済)抜きでの国家経営が成り立たなくなり、華人の地位が
インドネシア共和国の中で確立したと言う事でしょう。
それを受けて華人もダブーであった政界へ進出する気になったのでしょう。
顔を見れば中国人ですが、インドネシア国籍を取得し、インドネシア名を
もったれっきとしたインドネシア人です。
誰にはばかる必要がありましょう。
 
その通りです。
誰にはばかる必要も有りません。どこにはばかる必要も有りません。
しかし、少しも生活が楽にならず搾取されていると感じ続けている
プリブミ(インドネシア土着民族)の貧困層も多く居るのです。
豪邸に住み高級車を乗り廻して傍若無人に振舞う華人アンちゃんの姿に
苦々しい目を向けているプリブミも居るのです。
『ムルデカ(独立)か!、死か!』
多くのプリブミの血を流して勝ち取った独立国が、オランダ人から華人と
いう名の大陸から逃げて来た中国人の子孫に変っただけと感じる人も
いるでしょう。
『落地生根』
落ちたところで根を生やして生きる、華僑華人のしたたかさを感ずる
言葉です。
しかし落ちた場所にも元々生きている人が居るのです。
根を生やすための競争をすれば、冬を知る先祖の血が南方に於いても
常にリスクに備える生き方をさせるでしょうから、冬を知らないで生きれる
裕福な自然で育った人達との競争で勝つことは難しくは有りません。
その為に落ちた地で根を生やして栄えて行けるのでしょう。
しかし、先住の人達にも栄える権利は有ります。
その人達の前であまりにも栄えた自分達を謳歌すれば、反感を招く事は
必定でしょう。
今後共にインドネシア共和国の発展に力を尽せる華人に対してだからこそ
思うのです。
落地生根とは言っても人の国であることを忘れてはいけない。
国籍を持ったからと言って、血は同じではない。
親世代の慎ましさを忘れずに生きてゆくことこそが家族子孫の安泰を
招くのかも知れない、という思いを持ってもらいたいものです。
 
そんな事を思ってしまうシナ正月です。
そして、日本人でありながらこんなことを感じてしまう程、長い年月を
インドネシアで過ごさせてもらった幸運に感謝するイムレックなのです。