インドネシア通信 『信用』…の巻き          神谷 典明 
 
 今回は実にシンプルなお話です。
 『信用がいかに大事か』、という実に当たり前の話です。

インドネシアは華人が多いので漢方薬屋が沢山あります。
ジャカルタの旧市街、昔バタビアと呼ばれていたであろうコタ地区に行けば
漢方薬屋だらけの一角がある程です。
中国から輸入された漢方薬は化学製剤に比べれば値段が高いです。
故にまがい物も多いです。
強壮剤に至ってはまがい物の見本市です。(バイアグラに本物有りか?)

 

では、これ等をどうして見分けるか…?

 

答えは実にシンプル、…『見分けられません。』
包装は本物と同じ、買いもしないのに破るわけには参りません。
仮に破ったところで何が判るでしょう?
飲んだところで一粒二粒では何も判りません。
漢方は最低3ヶ月服用しなければ薬効が実感できないのです。
故にまがいものを見分けるのは無理です。

 

生薬と云えども薬です。まがい物を飲んで良いわけがありません。
見分けられないのにどうして本物が入手できるのか?
実は秘訣があります。
それは、漢方薬屋の店主を信用する事です。
まがい物を売らない店主を選ぶ事です。
何となく感ずる胡散臭さ、話しの調子良さ、笑顔の裏に隠す舌、

 

長いインドネシア人生、騙し騙されの商いを続けて来たお陰で
培ってきた勘です。
邪悪なものが近寄ると、ムズムズ、ピリピリ、と気に障るのです。

小職は毎月日本とインドネシアを往復しております。
ジャカルタへ来るたびに立ち寄る馴染みの漢方薬屋、その店名を
BINTANG(星)
TERANG(明るい)、『星光薬局』と申します
店主はアシンと呼ばれる華人の中年男。
店員さんが7~8人、奥さんと二人で店を切り盛りしております。
ここで漢方薬を買うようになって15年。
最初は女房の薬、そして親父の薬、お袋の薬、孫の薬と
家族向け漢方薬を買っておりました。
病状を言えば店主が合致する薬を選んで薦めてくれるのです。
お勧めに従って買い、日本に持ち返って3ヶ月以上服用すると
利きめが実感できるようになるのです。
曰く、体が楽になった、胸があおらなくなった、眠れるようになった…。

 

いつの頃からか友人達への薬も買うようになりました。
『飲み過ぎに効いた』、『肝臓の数値が下がった』、『便通が良くなった』、
これ全て。店主のお勧めに従った結果です。
 
店主は、まがい物はまがい物と教えてくれます。
インドネシア製はインドネシア製として中国からの輸入物とは区別して
教えてくれます。小職は高くても中国からの輸入物を買います。
一回の買い物で300万~500万ルピア(3万円から5万円)使います。
店主を信用して随分長く随分沢山のお金を使ってきました。
でも、『効いてるよ』、と言われると嬉しくなります。
渋滞のコタ市街を走る苦労も吹っ飛びます。
家族に喜ばれ、友人に喜ばれ、まさに『買い甲斐』が有る、と云うものです。
 
『買い甲斐』は店主を信用する事から得られました。
もとい…、信用できる店主を選ぶ事から得られました。
これは商売にも通じます。
先ずは信用できる相手を選ぶ事、見かけに踊らされてはなりません。
小さな会社でも立派なオーナーならば取引できます。
かつて商売相手の生き血を吸って大きくなった会社もあります。
インドネシア木材業界で生きる日本人の間で有名なのは、『3マス』と呼ばれる
大手木材大会社3社です。
どの会社も社名にマス(MAS…金と言う意味)が付いているので、
このように呼ばれておりました。
一体誰の生き血を吸って大きくなったのでしょう?
3マスのいずれかに騙され、腐った原木を積まされて自殺してしまった
駐在員が居た、との噂を聞きました。
騙す奴が悪いのか、騙される奴がアホなのか…
 
インドネシア原木業界内では、明らかに騙される奴がアホなのです。
故に自殺した駐在員に同情はしません。
相手を騙すぐらい頭と神経を使って対峙すれば騙されずに済むのです。
騙すか騙さないかは人間性にも拠りますが、騙すぐらい知恵が廻らなければ
原木駐在員は務まりません。
知恵を絞って、絞って、絞り尽くして相手と対峙する。
相手も知恵を絞って来ます。
どちらの知恵が上回るか? 利益を賭けた真剣勝負です。
上回った方が『騙した』と言われ、下回った方が『騙された』と言われるのです。
騙されたのは知恵比べに負けた結果です。故に同情しないのです。

『私は人を騙しません』なぞと、くだらん事を言っている奴は原木駐在員失格。
『人が善くて商売できるか!』、『利益は相手から奪い取るものだ!』
切った張った、丁々発止、が当時の商売スタイルなのです。
 
マリンボーラと言う貝虫が海中保管された原木に付着します。
見かけは原木の表面に小さな穴が開いているだけなのですが、
実はその穴から巻き貝が材中に入り、原木の中を縦横無尽に食い荒らすのです。
孔同士は不思議とぶつからないのです。
こんな原木を製材すれば、見事な欄間が出来上がります。

 

マリンボーラが見つかったらその原木は撥ねます。
筏の中に浮き面(丸太の浮いている部分)にフケ(腐れ)が入っている丸太を
見つけました。
こんな丸太を積んだら船倉で蒸れ、日本へ着く頃にはきのこが生えます。
  【清水港、夏の雪事件】
   夏の清水港に雪の乗った丸太を入れたことがあります。 
    雪のように白いきのこが丸太の浮き面一面に咲いていたのです。
    若干古い丸太を買った結果でした。
    当時の金で1000万円(自分の給料の10年分以上)の損を
    出しました。
こんな丸太は積めません。
丸太にペンキでペケ印を書いて撥ねる様サプライヤーに指示しました。
翌日筏を見に行ったら、ペケ丸太は見つかりませんでした。
その代わり浮き面にマリンボーラが見つかりました。
『何で丸太の底に付着するマリンボーラが浮き面にあるんだ?』

 

そうです。
サプライヤーが夜の内に丸太を廻したのです。
ワイヤーに丸太を括り付けている釘を抜き、一本一本丸太を180度回転させて
ペケ印の付いた浮き面を水中に隠した上で釘を打ち込み直したのです。
浮き面はみずみずしく綺麗です。
今度は『マリンボーラが見える』、と言ってペケ印を打ちました。

 

翌々日筏へ行きますと、何と浮き面に水苔が付いているのです。
『何で水と接している部分にしか付かない水苔が浮き面に付いているんだ?』

 

そうです。
サプライヤーが夜の内に丸太を90度回転させてペケ印を水中に隠したのです。

 

サプライヤーのアンちゃんを呼びました。
『くだらん努力は止めよ、お前が俺を騙せるもんか。
苦労するだけ無駄だ。さっさと撥ねよ!』

 

アンちゃんは言いました。 『お前にゃ負けた、何をやっても騙せねえ…』
アンちゃんと友達になりました。一つ年上の友人です。
原木禁輸となるまで、このアンちゃんから丸太を買い続けました。
原木廻し事件後は良い丸太を提供してくれ、検品しなくとも大いに儲かりました。
アンちゃんも定期的に丸太が売れるので儲かりました。
『お前のネゴはきついが、一旦契約したら絶対取ってくれるので安心だ』
これがアンちゃんの口癖になりました。
 
原木を買い付けた途端に日本の相場が下がり始め、打たれるのを懸念した
日本の本社から積み取り船を送ってもらえず、とうとう丸太が腐ってしまい、
怒ったサプライヤーが駐在員を撃ち殺した悲惨な話しが、深田佑介著、
『炎熱商人』に載っております。(フィリピンで起こった本当の話しです。)
こんな殺伐とした原木取引で、『一旦イエスと言えば、死んでも船を送る』。
これは大きな信用でした。
この信用を得るためにどれだけ本社の上司と喧嘩したことか…。

船が来れば丸太を積みます。
スワンプ原木なので径が細く本数が多い。遅々として船積が進みません。
一定の時間内に積み切れないと一日毎に罰金が発生します。
2日、3日…、気が狂いそうになります。
そこで船長やチョーサー(チーフオフィサー)を陸に誘います。
鬼の居ぬ間に丸太を投げ込ませます。
手練手管、雨の降らないヘビー・レイン、静かな入り江のストロング・カレント。
積み続けているのに船積不能とタイムシートに書いてもらいます。
その為には何でも手配します。お望みとあらば酒でも女でも…
そして遅延違約金(デマレージ)を逃れるのです。
あわよくば早積み報奨金(デスパッチ)を得ます。
デマレージは確か一日分が$2500x@200=50万円、何と月給の半年分。
デスパッチは一日$1250。給料の3ヶ月半分です。
ちょっとした工夫(悪さ?)で、払うべき金を払わず、貰えない金を貰う。
たちどころに給料の何倍も儲けるのです。

丸太は寸検を絞ります。
指し(丸太径計測用物差し)の当て方を少しずらせばたちどころに出石が出ます。
出石とは日本での寸検とインドネシアでの寸検の差がプラスになる事です。
マイナスになればそれは欠石と言います。
丸太代の支払いはインドネシア寸検で行い、丸太の販売は日本での寸検結果で
行いますので、出石は儲け、欠石は大損です。
当時の駐在員の急務は欠石を防ぐことでした。
そこでサプライヤーと語らい、合意の下に寸検を意識的に絞ります。
出石分をサプライヤーに返済送金しても欠石のリスクが避けられた分儲けです。
損のリスクを避けることはすなわち儲けることです。
出石分はサプライヤーにとっても輸出税やロイヤリティー(林区保有者への礼金)を
セーブできますので儲かるのです。
ちょっとした工夫(悪さ)で給料の何倍も儲かるのです。
これを騙しと言うべきか、それとも才覚と言うべきか…(?)

騙し騙されが商売である、と今のインドネシ人スタッフに申しますと、一様に驚きます。
『そんなアホな…』、と。
騙すぐらいの知恵を働かせよ、という意味を持たせた言葉ですが、本当に騙すことも
有りました。相手が騙そうとするならば対抗上こちらも相手を騙してやる!

相手が誠意を見せれば、こちらも倍加する大誠意で応える。和戦両様の構えです。
騙すか騙さないかは相手次第。騙す能力が無ければこの構えは取れません。
人が善いだけでは生きて行けない世界でした。

そして現在、天然の資源を伐って金に替える原木輸出時代は過ぎました。
原木を加工し付加価値を付けた製品を取引する工業化の時代です。
cmの指しをmmのノギスに持ち替えました。
精度を守り品質を確保し、各プロセスのコストを積み重ねて売値との差(荒利)を
しっかり掴まなければ生きてゆけない時代となりました。
フロックで儲かることは金輪際有りません。
失敗してもリカバリーが打てない、こけたら立ち上がれない時代です。

騙しも才覚も、ハッタリも脅しも、通用しなくなりました。

シッパーも原木を扱う親父から工場を経営する息子に代替わりしました。
華僑お得意の商売センスは邪魔となり、こつこつ積み上げる地味な生産努力が

評価される時代となりました。 

 

ダイナミックな原木時代を生きてきた小職にとっては、チマチマした世知辛い時代に

なったものだと感じます。

商売の醍醐味は原木時代の6年間で十分味わい尽くしました。
25歳から29歳までの5年間は本当に黄金の日々でした。

騙すも騙されるも全てがゲーム。
利益は会社に還元するも、勝った負けたの勝負体験は自分の財産。
そんな経験をさせてくれた天龍木材に大感謝です。


人が善いだけの男ではない、悪人にもなれる自分が誇らしいです。
騙す技術も一流でしたが、敢て騙しテクニックを封印し、こつこつと信用を築いて
生きましょう。
あの漢方薬屋のように…

 

そして、何と!、あの漢方薬屋が来日したのです。
それも蟹を味わい尽くす北海道1週間の旅です。
小職でも経験したことのない北海道をあの、コタの薬屋の親父が歩いたのです。
こつこつと信用を築き、等々女房と娘を連れて日本へ来てしまったのです。
インドネシアから帰った当日、羽田で旭川から来る彼等を待ち構えました。
友遠方より来る、また楽しからずや…
扉が開き、満面に笑みを浮かべた彼が出て来ました。後ろから女房や娘も…。
そして言いました。
『これ、美味しいけど北海道には売ってなかった…』

 

見せられたのは土産としてジャカルタで彼に渡した山葵フリカケの袋写真でした。

こつこつと信用を築いてきた彼の、たっての頼みです。

『お安い御用!今度1ダース土産として持って行くよ…(笑)』