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インドネシア通信、『新ジャカルタ2トップ誕生!』…の巻き

 

 

去る9月20日にジャカルタ特別州知事選の第2ランウド投票が行われました。

第一回投票は7月11日に候補者全員を対象にして全ジャカルタを強制休日にして

投票が行われました。

そこで過半数を制する候補が出れば決まりだったのですが誰も過半数は取れませんでした。

結果9月20日に上位2候補を対象に決選投票が行われたのです。

またしてもジャカルタだけは休日扱いとなりました。

午後2時に投票が終了し2時間後の4時には発表がありました。

勝ったのは新人候補で現ソロ市長のジョコウイドド氏(愛称ジョコウィ)でした。

こちらの選挙は大統領選でもそうですが正副のセットで行われます。

今回の副知事候補はアホック氏でした。

 

写真でお分かりのごとく二人とも若いです。

ジョコウィ氏は1961年スラカルタ(彼が市長を勤めるソロ市の旧称)生まれの51歳、

アホック氏に至っては1966年ビトゥン生まれの46歳です。

前任のファウジボヲ氏がおっさんだっただけに彼等の若さが際立ちました。

小職がインドネシアで原木を買ったり製材をしたりして働いている間に育っていった

男の子達が今ジャカルタ州知事と副知事に就任するのです。

不思議な感覚です。

 

ジョコウィ氏は日本で言えば京都に当るジャワの古都、世界遺産ボロドゥールのある

ジョグジャカルタ市に設立さえたインドネシア最大の国立総合大学ガジャマダ大学の

林学科に学び、卒業してからは事業家として家具製造メーカーを経営したそうです。

その後日本の奈良に当る古都で彼の故郷でもあるソロ市の市長として手腕を発揮

し始めました。

その一例が工業高校にインドネシア初の電気自動車を開発させそれを公用車として

採用したのだそうです。開発を任された高校生もさぞかし嬉しかったことでしょう。

 

2トップの写真を見て何か気付かれませんか?

そうです。

明らかに副知事は中国人です。

インドネシアでは華人(華僑でインドネシア国籍をとった者)は経済を牛耳るも政治には

口出ししないことを本分として生きてきました。

政治はインドネシア人、経済は華人、これがインドネシアに於ける棲み分けだったのです。

長い間この棲み分けを守ってきました。

インドネシア最大の政商でありスハルト氏最強のパトロンであったスンドノ・サリム氏でさへも

政治の舞台には出ませんでした。

スハルト大統領を金で援助し盟友として経済の舞台で甘い汁を吸わせて貰い、当時の

インドネシア各業界のトップ企業を網羅したコングロマリット、サリムグループを創り上げました。

彼はリム・ショウ・リョンというれっきとした中国名を持っております。

 

この伝統に風穴を開けた男が居ました

スハルト政権後期に台頭して来た政商で、B83(略称)と名乗る有名な木材屋です。

彼はスハルトさんが若き頃従卒として使て今でもジャカルタの大路にその名を残す

ガトット・スブロト将軍が養育した養子だそうです。

将軍はスハルトさんに、『この子は賢いので面倒を見てやってくれ』、と言いのこし、

スハルトさんは将軍になり大統領になってからもその約束を果たして続けて来たのだ、

と言う美談(?)を聞いたことがあります。(本当か噂かは知りませんが…)

彼は初めて表立った政治活動をした華人かもしれません。

一時期政治的利権を牛耳ったフィクサーとしての活躍しました。

モハマッドと称して如何にもインドネシア人を装った態度でした。

イスラム教に入信しメッカ巡礼にまで行きました。

それでも民衆は彼を揶揄し日本の家電メーカーの名を使ってHITACHIと陰で呼びました。

Hitam(黒い)Tapi(しかし)China(中国人)という意味です。

知らぬ振りをしながらも民衆は見抜いていたのです。

 

彼に関しては小職も小さな思い出が有ります。

彼が起こした会社は日本向け合板輸出の総代理店に指名され(実は彼が指名して)、

日本向けにインドネシア合板を独占販売しました。

当時のインドネシア合板業界は日本向けが主流でしたので大きな利権となりました。

利権商売を嫌悪していた小職は小さな抵抗を試みました。

彼の独占に穴を開けてみようと試みたのです。

商品を合板と言わず、『エンジニアードパネル』、と名付けて彼が独占している合板生産

工業会を通さず製材・木工業会を通して輸出したのです。

合板ですが製材品として輸出することにより独占を免れたのです。

小職は利益よりも権力に逆らう心地よさを大いに堪能しましたが、付き合ってくれた顧客は

ヒヤヒヤものだったと思います。

 

彼以外にも当時政治に口を出そうとした華人木材実業家が居りました。

彼の勢力圏下にあるタラカンに彼の寄付により建設されたイスラム寺院がありました。

彼もメッカ巡礼を果たしたイスラム教徒でした。

彼は東カリマンタン有数の都市の市長選に出ようとしました。

ここでB83氏の逆鱗に触れたようです。

彼は叩き落されました。

実業家ならば誰でも叩けば埃が出る身です。

脱税をつつかれ徹底的に叩かれました。

会社は衰退しました。

(この二人がスラバヤの華人イスラム教徒が管理する不思議なイスラム寺院の

 礎石に高額寄付者として名を連ねております。)

 

サリム・グループがスハルト政権の行く末に見切りをつけて少しずつインドネシアから

身を引くのに反比例して経済の表に踊り出てきた事業家もまた木材屋でした。

その名はPP氏、インドネシア最大最強合板グループのオーナーでした。

PPさんは取引先を招いて自宅でシナ正月を祝う習慣をお持ちでした。

小職も大商社にくっ付いてお邪魔したことがあります。

?億円という値段のシャンデリアが吊るしてある豪邸だったと記憶しております。

サリム・グループが抜けるに伴いその分を彼が肩代わりするかのごとく前に出て深く

深く経済界に食い込んで行きました。

会社もミニ・サリム・グループの様相を呈し木材業から脱皮してコングロマリット化して

行きました。

スハルトさんが権力をなくした時より彼と彼のグループの衰退が始まりました。

サリム・グループは彼を身代わりにしながらスハルトさんのパトロンを抜けました。

 

何故か政治に口出ししないはずの華人の中で例外はみんな木材屋です。

インドネシアでも木材屋は山っ気を持っているのでしょうか…

フィクサーとしてではなく正式に華人が政治家として登場したのは、ワヒッド政権時代の

クイ・キャン・ギと名乗る経済担当大臣が初めてだと記憶しております。

 

今回は久し振りに華人が華々しく政治の表舞台に登場しました。 

しかも若い!

ジョコウィ氏が1961年スラカルタ(現ソロ)生まれ、アホック氏は1966年ビトゥン生まれ

ジョコウィ氏が華人であるアホック氏を副知事候補として受け入れたのだそうです。

政治に口出ししないと言う華人の伝統を破った彼の活躍を見守りたいと思います。

そんな話しを華人である運転手君と話していましたら彼より面白い指摘がありました。

『ジョコウィも中国の血を引いているよ。・・・?!』

 

彼の話によりますと昔の明より艦隊を率いてジャワまで来た提督が居たそうです。

その名は鄭和(Cheng Ho)。

インドネシア来訪の目的は交易でありその後の華僑発展のきっかけを創った提督です。

何とこの提督は中国人ではありますが雲南出身のイスラム教徒でした。

彼を記念して建てたのがスラバヤにあるイスラム寺院でした。

(これを管理している華人は彼の末裔でしょうか…。)

この艦隊によって中国から連れて来られた人々の末裔がジャワでインドネシア化して

今でもソロやジョグジャカルタ周辺に住んでいると言われております。

彼等は華僑(インドネシアに住んでいる中国人で国籍は中国籍)ではなく、

華人(中国人であるがインドネシア国籍を有している)でもありません。

れっきとしたインドネシア人なのですが、先祖に中華の血が混ざり込んでいる人達です。

そしてジョコウィがまさにこの人達の仲間だと言うのです。

噂の世界で最も有名なこの世界の人はスハルトさんの奥様、ティン夫人だそうです。

スハルトさんの奥様はジョグジャカルタ王族の出身と言うことになっておりますが、

当時艦隊に連れて来られた女官達が王宮で働くうちに血が混ざり王族の血筋になった

ものと思われます。

このような高貴な血をジョコウィ氏も受け継いでいるのだと華人の運転主君は誇らしげに

主張するのです。

 

インドネシアと中国の深い関係には驚かされます。

スハルト政権が崩壊し民主化が始まって以降、歴代政権の手で行われた華人の

抱き込み策が功を奏し、現在は暴動も無く大経済発展を遂げているインドネシアですが、

その象徴のような正副ジャカルタ知事が誕生したのです。

暴動の怖さを骨身に沁みて感じたことのある人にとっては誠にお目出度い事です。

インドネシア民衆と華人が経済だけでなく政治の世界でも融和してインドネシアの

大躍進を牽引して欲しい、と念ずるのは小職だけではないでしょう。

欲求不満の捌け口として反華僑暴動を煽るようなスハルト政権下の方策から抜け出した

新生インドネシアを大いに歓迎したいと思います。

悪しきインドネシア(軍政恐怖政治のインドネシア)が消えると共に経済発展が生じた

ことは、決して偶然ではありません。

それが証拠に大企業や外資企業はその殆どが華人企業です。

華人を取り込んだ世界創りがインドネシアの将来を決定するのだと思います。

華人の肩を持ちすぎると思われるでしょうが、こちらでビジネスをやってみればこの気持ちは

自ずから判るはずです。

 

『華人の身分保障なくしてインドネシアの発展は無い』、と声を大にして言い切ります。

 

 

付録の話しです。

新ジャカルタ知事、ジョコウィ氏には日本が間接的に絡んでいるのです。

知られていない話ですが、ジョコウィ氏が教えを受けたガジャマダ大学林学部の恩師、

ヌグロホ教授は名古屋大学農学部林産学科木材物理学研究室で博士号を修められた

国費留学生なのです。(恩師は寺澤先生と木方先生です。)

同時代に在学し同じ恩師より戴いた教え(哲学)がヌグロホ教授を通してジョコウィ氏にも

及んでいると思うことは大変楽しい想像です。

新知事に親しみが湧きます。

是非5年間頑張って実績を見せて貰いたいものです。

 

 

 

追伸)

この駄文に記しましたことは全て神谷がインドネシアで得ました伝聞情報にて真実の程は

明らかではありません。神谷のフィクションかもしれない点を先にお詫び申し上げます。

 

折角ですからもう一つ根拠のない噂を…

 

『華人宥和政策を始めたワヒッド大統領も鄭和艦隊の名残りだ』、……そうです。