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インドネシア通信 『お皿の置き方』…の巻き

 
お皿の写真をご覧になって何を感じられますか?
実にありきたりな朝食用ブッフェの様子です。
何もお感じになられない?
そうでしょうね…、ありきたり過ぎて感じるものがないでしょう。
 
小職は恐怖を感じます。
憎しみを感じます。
諦めを感じます。
 
なぜって?
それはこの風景が日本とインドネシアの文化の相違を象徴して
いるからです。
 
皿もお椀もみな上向きに重ねて置いてあります。
これでは埃が入るでしょう。
それでは何ゆえ埃が入らないように下向きに重ねないのでしょう?
それが分りません。
 
埃が入ったら拭けばよいではないか?
確かに全ての皿やお椀、スプーン、フォークまで毎回毎回使う前に
拭いております。
それがインドネシアでは習慣となっております。
レストランでも個人の家でも同じです。
拭かなくとも済むように下向きに重ねようとは思わないようです。
 
インドネシアでは、すべてこうです。
そうならないように事前の努力をすることがありません。
仕事に段取りがありません。
小職には行き当たりばったりにか見えまません。
問題が起こって初めて対処療法的に慌てます。
スペアーが無い、糊が切れた、その度に生産ラインが止まります。
日々使っているのですから在庫が切れることぐらい少し考えれば
分りそうなものなのに…
目の前に穴が見えているのにこれに落ちてから慌てる子のようです。
一事が万事こうなのです。
 
工場で小火が起こりました。
工場裏手の集塵から火が出ました。
工場内に一台だけ配置されている消防車が来ました。
早速放水、と思いきや、何とホースが短いのです。
火災現場まで届きません。
やっとこさ繋ぎのホースを持ってきました。
屋根に放水しようとホースを持って駆け上がったら
水がチョロチョロしか出ません。
水圧を上げたら繋ぎが外れました。
まるで漫画です。
この間、火は燃え続けているのです!!!
生活でも同じです。
お金を後先考えずに使います。
何かあると慌てて借金を申し込んできます。
女房が病気だ!、子供の学費が!、孫のミルク代が!、
理由はたくさん有ります。
病気以外は事前に判りそうなものなのに、何ゆえ貯金をして
おかないのでしょうか? 実に不思議です。
 
弊社は従業員の疾病保険を会社で支払っております。
彼らが病気になっても保険で求償出来ます。
突然借金を申し込まれて資金繰りに苦しむことはありません。
借金を断ることは人道上難しいです。
断らなければ会社の資金に食い込んで来ます。
従業員からの突然の借金申し込みに苦しんだ挙句に得ました
ノウハウです。
 
どうして、こうも準備をしないのでしょうか?
どうして、こうも段取りが苦手なのでしょうか?
 
それは南国の気候と諦観の賜物なのです。
 
南国には冬がありません。
ただ雨が多いか少ないかの違いだけで毎日が夏です。
服は洗濯すれば直ぐ乾きます。
川に行けば魚が採れますし、庭にはバナナが生っております。
田植えをしている隣で稲刈りが出来るごとく、自然が豊かな世界です。
金が無くとも飢えません。
行き当たりばったりでも、その日暮らしが出来るのです。
 
病気になったら『さよなら』です。
たいした医療も受けられずに多くの人が亡くなります。
祈祷師に祈ってもらっている間に亡くなります。
しばらくは嘆き悲しみますが後を引きません。
運命には逆らわないのです。
生るがままに生活して旅立ってゆくのです。
だから多産なのです。
この頃は家族計画と称し子供は二人まで、政府が奨励しておりますが
カリマンタンの奥地なら二人では成人する子が出ないでしょう。
病気は『さよならの時』なのです。
これは諦観の賜物です。
暖かい気候の元で諦観を持って生きる民に何をどう教えましょう!?
対処療法で生きてゆける民に何をどう教えましょう?!
冬を知らない民に何をどう教えましょう?!
こうでなければならない、という事が無い世界の民に何をどう教えましょう?
トラブルが起こってから対策を打てば十分、と思っている民に何をどう教えましょう?
なんせ事前の準備が無くとも生きて行ける世界ですから。
 
トラブルが起こらないと考えてくれません。
先を見てはくれません。
報告もしてくれません。
勝手に基準を解釈して変えます。
基準を変えても報告してくれません。
『基準が間違っていたのか!』、と反省して基準の見直しを必死で
行っているうちに、守っていなかったことが判明。
『何で守ってくれないのだ!』、と相手の顔を見ると新人でした。
『何も知らない』、と言っております。
『知らないなら、なんで聞いてくれないのか!』、と怒っても、
『聞けと命令されなかった』、と言います。
『知らないのに何で仕事をするのか!』、と怒ると、
『知らないで仕事をしてはいけないとは言われたなった』、と弁明します。
だんだん彼らの言い分の方が正しく思えてきます。
『そうだな、確かに俺は奴には教えていない、教えたのは昨日居た奴だ』、
今日は違う奴が目の前にいる、
俺はこいつに、『知らないのに仕事をしてはいけない』、とも
『知らなかったら聞け』、とも言わなかった
俺が悪いのか…?
 
皿の置き方一つにこのような想いが沸き出て来るのです。
そしてこの想いを抱えてインドネシアでの日々を過ごして来たのです。
恐怖を感じます。
憎しみを感じます。
そして、諦めを感じます。