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インドネシア通信 『厳冬は買い!』…の巻き

 

1985年以前の原木駐在時代は、『厳冬は買い』と上司に教えられました。

格言の意味は、

   日本の冬が寒いとインドネシアの雨季は厳しくなる。

   雨が多く降るので丸太が出てこない。

   日本の原木相場が品不足で上がるので

   インドネシアで積み地に出ている丸太は買い!

   これで儲かる。

…てなもんです。

 

当時は天気予報会社何ぞ有りませんしPCも有りませんのでネットで各国の

天候を知ることも出来ません。

そこで先人の経験を格言にしてノウハウとして歴代受け継いでいったのです。

『厳冬は買い』

需要と供給の関係で相場が決まりますので需給を見通すこのノウハウで結構

儲けさせてもらいました。

 

日本へ向かう原木量を予測するのも相場を読む方法です。

タラカンに駐在してても大積地であるベラウやサマリンダへ出張して日本向け

原木の船積み実績を調べ、毎月日本へ報告しておりました。

小職の記憶に間違いがなければ、当時(1980年代初頭)のタラカンより14万m3、

ベラウ・サマリンダより45万m3もの原木が毎月日本へ向かっておりました。

この月間合計59万m3を年ベースに直せば東カリマンタン州から日本向けに

積み出された原木の量だけで708万m3。

現在のインドネシア全土の天然木年間商業伐採許可量(RKT)900万m3弱(?)

を考えるとインドネシア木材業界衰退の原因がまざまざと浮かび上がります。

早い話が人為的な(違法伐採規制を理由とした)用材不足なのです。

原料入荷が不安定で減少傾向である工場を経営する程大変な事はないと思います。

インドネシアの木材業オーナー連中はこの苦労から逃れる為に足を洗ったのです。

そしてより安定した経営の出来る農園や石炭採掘へ転進したのです。

さすが華人、天職なぞという言葉は使いません。

伐採権を国と契約した土地で上の木を伐ろうと、農園を開こうと、地下資源を

掘り出そうと彼等にとっては同じようなもの、自分の業種は問わない、儲かれば

良いのです。

そうでないと知らない人が入ってきて、木を伐る隣でより儲かる石炭を掘り始めます。

何で人に儲けさせましょうか!

 

 

話は変わり、今年の日本は明らかに厳冬でした。

今でもまだ吹雪に閉じ込められて雪の中で亡くなる方が出る程です。

上記格言に従えばインドネシアは雨が多いはずです。

格言は当たりです。原木の相場も上がりましょう。

今年のインドネシア雨季は大変雨が多く、各地に洪水被害をもたらしました。

10年に一度というレベルの大雨季です。

雨に振り込まれて大変な思いをしました。

ジャンビで仕事を終えジャカルタに出ようとしたらジャカルタ大洪水が起こりました。

とても空港まで車が出迎えに出れない、との運転手君の話を受けジャンビで

スタンバイ、数日経過した後恐る恐るジャカルタへ出てたのでした。

ジャカルタでは大変な事態が起こっており、街の中で大蛇が出たり、

地下駐車場に水が流れ込んで運転手が溺れ死んだり、

その影響は水が退いても残りました。ジャカルタ中心部でさへも土埃で大変でした。

このようなジャカルタを見るのはインドネシア滞在34年間で初めてです。

 

でも洪水は公平です。

金持ちにも貧乏人にも等しく苦しみを与えてくれました。この点のみ喝采です。

 

やっと正常に戻ったのでジャンビへ戻れば今度はジャンビが洪水!

工場が浸水の危機に陥り、まさにヒヤヒヤの1週間を過ごしました。

『水よ退け!、水よ退け!』、と毎朝呪文のごとく呟き続けました。

 

そんな苦境の中でもインドネシアの人達は陽気です。

苦境を苦境と認識していない、

というより、天に逆らわない、

というより、考えていない、

洪水になったらなったでいいじゃないか、家の前で洗濯は出来るし魚も連れる。

洪水が終わる頃売り物の魚は増えました。

彼等曰く、『魚が沢山獲れる様になったから水が退くよ、残念だね…』、だって。

 

この陽気さには救われます。

冬のない国の人達には暗さがありません。

どんなひどい状況に陥っても餓死することも凍死することもないのです。

生きることだけは出来るのです。

備える、という言葉は有名無実です。

備えなくとも生きてゆける人達の持つ明るさです。

・泥棒が居ないのになぜ縄を用意しなければならないの?

・縄は泥棒を捕まえ縛りたいから綯うのです。

 

冬のない国(自然)の豊かさは、人の心までおおらかにしてくれるのです。