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インドネシア通信 『インドネシア大統領直接選挙』…の巻き      神谷典明

 

インドネシアは政治が暑い!

5年の一度の祭り、大統領直接選挙を7月9日に控えております。

東西5000kmにまたがって1800もの島が散らばる広大なインドネシア。

2億5千万国民の内17歳以上の約1億8000万人に等しく投票権が

与えられる壮大な選挙です。

識字率が100%ではないので正副大統領候補者の名前を記すのでは

なく、候補者の番号もしくは写真に棒で穴を掛けることで指名表示をする

インドネシア独特の投票方式です。

投票した人の小指には2~3日消せない特殊なインクが塗られます。

これで買収された人が行う2重投票を防ぐのです。

 

候補者の擁立は今年4月に行われた総選挙で20%以上の議席数か

25%以上の投票数を得た政党もしくは政党連合のみが可能となります。

候補① 第3党となったグリンドラ党からプラボウォ・スビアント氏、62歳が、

候補② スカルノ大統領の娘、メガワティさんが率いる第1党闘争民主党

      から現ジャカルタ特別州知事ジョコウイドド氏、52歳が、

それぞれ擁立され、一騎打ちとなっております。

 

 

ここでインドネシアの歴代大統領を俯瞰してみます。

①独立宣言をしたスカルノさんが1945年8月に初代大統領に就任。

  『指導される民主主義』を掲げ国軍とインドネシア共産党の2頭立て

  馬車を上手く乗りこなし反植民地主義、反帝国主義、その結果としての

  共産化へ走りました。                             

 

②これに危惧を感じたアメリカの支援を受け、当時陸軍戦略予備軍司令官

  だったスハルトさんが1965年9月に実質的クーデターを起こしてこれを倒し、

  その後共産党狩りと称して50万人とも200万人とも云われる自国民の

  自国民に対する大虐殺を誘発させ、スカルノ与党インドネシア共産党を

  壊滅させました。

  1967年3月の政権移譲(といわれているだけ)で第2代大統領に就任。

  軍による独裁体制を敷き、開発独裁を標榜して経済発展を優先させた

  国創りをしました。

  しかし虐殺の恐怖はインドネシア国民のトラウマとなり32年もの長きに亘り、

  ものが言えない暗いスハルト時代が続いたのでした。

   

③1997年の通貨危機、1998年5月のジャカルタ暴動を機に国民の不満が

  爆発しスハルト大統領を辞任に追い込み、副大統領だったセレベス島出身の

  ハビビさんが大統領に昇格。

  1998年5月、初めてジャワ人ではない第3代大統領が誕生しました。

  ハビビ大統領は民衆の要求を受け民主化に取り組み、結社の自由を認め、

  スハルト政権を支えていた大政翼賛政党以外の政党を含めて1999年に

  国民が自由な投票で政党を選ぶ総選挙を実施しました。

 

④政党間での駆け引きにより、なれる筈の無い序列第3位国民覚醒党の党首が

  大統領に就いてしまいました。第4代ワヒッド大統領です。

  1999年10月、世界初、糖尿病合併症で目の見えない大統領の誕生です。

  (金は見えた?、ともっぱらの噂…正副大統領候補に健康診断ドック入りが

                     義務付けらる元凶となった人です。)

  しかし、さしたる実績も示せないまま2001年7月に大統領選任・罷免権を持つ

  国民協議会(国会)から罷免されてしまいました。

 

⑤あとを継いで第一党闘争民主党党首でありながら副大統領に甘んじていた

  スカルノさんの娘、メガワティさんが2001年7月第5代大統領に就任しました。

  しかし親父のカリスマ性を信じて担いだ多くの人は失望する事となりました。

  親父に似ず無能だったからです。 

                                 

ここまでは総選挙で選ばれた国民協議会(国会)議員が大統領を指名する

間接選挙でした。日本の首相指名と同じです。

ここからがインドネシアの凄さ(?)なのですが、2002年に憲法を改定し大統領を

国民が直接投票で選ぶ大統領直接選挙となりました。

独裁を防ぐために任期は2期10年までという条件まで付与しました。

 

⑥メガワティさんの任期満了を待って2004年10月に初めて実施された大統領

  直接選挙で陸軍師範学校主席、ウエブスター大学MBA取得の陸軍エリート、

  スシロ・バンバン・ユドヨノさんがメガワティさんを破って当選し第6代大統領に

  就任しました。

  2009年の大統領直接選挙でも再度メガワティさんとの一騎打ちに勝ち

  連続政権を樹立した現職も今度の大統領直接選挙には出馬できません。

 

民主化を果たした挙句に出て来たもの、それは生活苦と汚職でした。

民主化を達成しても汚職はなくならず、補助金廃止のあおりを受けて電気代も

灯油も上がる苦しい生活。

ジャカルタの渋滞も洪水も酷くなる一方、それなのにワイワイ騒ぐだけで何ら有効な

対策を打てず、皆が権利ばかりを主張し義務を果たさない。これが民主化なのか?

 『雲の上で汚職されるのであれば仕方ないと諦めもするが、民主化のお陰で

  身近に居る声のでかい輩が上手い汁を吸っているのを見ると頭に来る!』

これが民衆の実感だと思います。

 

この様な背景からスハルト時代を懐かしむ風潮が出て来ており、SARSと略語で

呼ばれております。

(SARS : Sindrom Aku Rindu Soeharto スハルト恋しいシンドローム)

あの頃は良かった!、と言う懐古趣味ではありません。

『あの頃は今のようにやりたい放題ではなかった。』…(独裁だから)

『あの頃は声のでかい輩が居なかった。』…(言論の自由が無かったから)

『あの頃は物価が安かった。』…(統制経済だったから、その借金は今?)

怖かった事は忘れ、統制が取れていた事だけを懐かしむ非常に危ない風潮です。

 

この風潮に乗って勢力を伸ばしているのがプラボォ候補です。

スハルトさんの娘婿だった人で、スハルト政権崩壊後はヨルダンに亡命していた

人です。(スハルトさんの娘とも離婚しているので正しくは元娘婿です。)

コワモテ、特権階級、軍エリート、ジャカルタ暴動を扇動したと噂される謀略家。

スハルトさんがスカルノさんから政権を奪った時の階級と同じ陸軍戦略予備軍

司令官でウイラント国軍司令官とライバル関係にあった中将です。

その後スハルト政権崩壊後ウイラント司令官にせり負け、国立士官学校校長に

転任させられた後に亡命したのです。

自国民を権力で殺した人権侵害者です。アメリカは彼にビザを発給しません。

そんな彼が大統領候補として再登場したのには正直呆れました。

『いくらお気楽なインドネシアでもまさかこいつが!…昔の恨みを忘れたか?』

 

対するジョコウィ候補は庶民派です。

1961年中部ジャワ、ソロ市生まれ、お父さんは大工、お母さんは主婦。

 (ちなみにソロ市は日本でいえば奈良のような古都です。)

ソロの小学校、ソロ第一中学校、ソロ第6高校と普通の学校を出て隣の都会

ジョグジャカルタ市の国立ガジャマダ大学の林学科を卒業したロック好きです。

 (ちなみにジョグジャカルタ市は世界遺産ボロブドゥールを控えた古都で

  日本で言えば京都、そしてガジャマダ大学はまさに京大です。)

その後家具製造業を営みながら推されて2005年ソロ市長に就任、

ソロ市を世界遺産都市メンバーにまで発展させる活躍をし、その人気に目をつけた

闘争民主党に請われて任期途中で2012年ジャカルタ知事選に立候補。

圧倒的人気で当選、益々党に請われてとうとう今度はメガワティ党首が出たかった

はずの大統領選候補に。(党首は出ても当選おぼつかないと党員に思われた?)

あれよあれよ、たった10年の間に木材屋が一国の大統領候補に…

『人生、こんな事も有るのですね!!』、…という三段跳びの典型です。

 

この大統領選は、『庶民 x 権力者(エリート・体制)』、の様相を呈して来ました。

当初ジョコウィ人気に乗ると思われていた政党が何故か終盤になってブラボォ支持

を打ち出し始めました。第2党のゴルカル党、現大統領が率いる第4党の民主党、

いずれもジョコウィ支持に廻ると思われていたのに今になってのプラボォ支持です。

通貨と株が乱高下しております。

何故でしょう?、どこの国でも政党間の覇権争いは理解に苦しみます。

 

7月9日は目前です。

政党の支持率ではプラボォはジョコウィを上回りました。

でも、政党が選ぶのではありません。

道端の大道芸人でも平等に一票を持つ大衆が選ぶのです。

大衆は金に弱いです。買収されるかもしれません。衆愚政治とも言います。

果たして庶民派が勝つか、パワーエリートが勝つか?

 

日本企業が多く進出し、眠れるドラゴンが起きたインドネシアです。

他国もその動向に無関心で居られるわけがありません。

新大統領を世界が歓迎すればインドネシアの信用は上がりルピア高となります。

人件費が上がり電気代が上がり、燃料も上がっているインドネシアで、未だに安い

価格で貿易できるのはルピア安の所為です。物価もドル換算では上がらないです。

ビジネスパートナーとしては無関心では居れません。

世界に歓迎されるのは果たしてどっち?

 

ジョコウィは一国を率いるには経験が乏しく、3度も大統領選に敗れたメガワティの

傀儡になる可能性あり…で、ルピア安(?)

プラボォは自国民を虐殺した人権無視の過去が消せないので一国を任せるリーダー

としては不適格。世界が認めるわけもなし、間違いなくルピア安!

世界世論はいずれの候補に対しても厳しく、どちらが勝ってもルピア安か…

(貿易人としてはホット一安心)

 

実は、外国人であるのにも拘らず小職にはジョコウィを応援したい理由があります。

ジョコウィはガジャマダ大学で木材の構造や利用を研究したという紹介になっておりますが、

小職の友人が彼の恩師(の一人)なのです。

小職の友人、ガジャマダ大学林学部ヌグロホ教授は名古屋大学大学院へ留学され、

当時の農学部林産学科木材物理学研究室に所属して博士号を取得されました。

指導されたのは当時の寺澤先生、木方先生、奥山先生、金川先生です。

小職も同じ先生方に師事しましたのでまさに相弟子。

ヌグロホ教授は帰国後ガジャマダ大学の教官・研究者として頑張って来られました。

小職もインドネシアを仕事の地とした関係から親しく行き来させてもらいました。

ヌグロホ教授は、ジョコウィがジャカルタ特別州知事になった時点で、

『ひょっとしたら大統領も夢ではない』、と予言されておられました。

相弟子の手元から同じ木材を生業とした第7代インドネシア大統領が飛び出すのを

是非この目で見てみたいのです。

 

『ガルーダ(神鷲)、出でよ!!!』