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インドネシア通信、『ラマダンに想うこと』…の巻       神谷 典明
 
インドネシアはラマダン(断食月)の真っ最中、7月16日が断食最終日です。
大相撲、大砂嵐関のお陰で日本でもラマダンに興味を持つ人々が出てきました。
そしてイスラム教徒の断食が一日中食事を摂らない事ではないと知っておられる
方々も増えて来た事と思います
日が出ている間だけ食事も水を飲む事もタバコを吸う事も断つのです。
逆に太陽さへ地平の彼方に没すればもう水も食事もOKです。
夕方になれば街の道路沿いに沢山のジュースやお菓子を売る無許可営業
屋台群が花咲きます。
この様な変則生活を1年に1回1ヶ月間だけ行うのがイスラム教の断食なのです。
『夜に食べるのであれば断食とは言えないよ』、と言う日本の友人も居りました。
断食を言葉通りに解釈すればそうです。
日本での断食とは、ある期間中の飲食を全てを断つものでしょう。
そんなことを1ヶ月間も続ければイスラム教徒は皆即身成仏してしまいます。
 
夜食べるのであれば、ただ日中の飲食を断つだけ、『大したことないではないか!』、
と思われる方は、試しに夏に昼間だけ断食をしてみれば!
食事を断つ事は左程辛くはありませんが夏に水を断つのは結構辛いです。
口の中がカラカラというよりネチャネチャになります。
喋るのも嫌になります。口の渇きにイライラします。
断食期間中は工場でポカミスを見つけても現場作業者を怒れません。
煙草飲みは日中禁煙でイライラします。でも怒れません。
断食は食事や水を断つだけでなく、自分の感情のすべてを断つのです。
感情を面に出しては駄目なのです。怒ってはいけないのです。
いつもであれば怒鳴り散らすようなミスに遭遇しても怒ってはいけないのです。
諭すが如く、丁寧に、微笑を湛えて、ミスを解り易く指摘してあげるのです。
これは実に辛いです。
水断ちより辛いです。微笑みが引き攣ります。短気ですので手が震えます。
このように、1年に1回1ヶ月だけ全ての業を断つ修行が断食(ラマダン)なのです。
 
 
断食の終了時期はイスラム教の司祭が月を見ながら決めるそうです。
インドネシアとマレーシアでは微妙に異なります。
インドネシア国内でも宗派によって更に微妙に異なります。
二つの宗派が別個に宣言しますので、カレンダーにイスラム正月を書き込むのに困ります。
『今年の正月はいつからだ?』、という変な会話、インドネシアでは普通です。
 
1ヶ月に亘る断食を終えますと嬉しいレバラン(イスラム正月)です。
お歳暮(パーセルと称する缶詰めやお菓子の盛り合わせ)を贈り合いますし、
お年玉(THRと称する小額のお金をいれた袋)を渡します。
おせち料理の様にお菓子や簡単な料理を用意して年始のようにお互いの家を
訪問し合います。
そしてレバラン(イスラム正月)数日前には殆どの人が故郷へ帰省する民族大移動
が起ります。そしてレバラン(イスラム正月)当日には家族揃ってお墓参りをするのです
まるで日本の正月とお盆が一度に来たような華やかで賑やかな祝日です。
 
2015年の今年は7月17日~18日がレバラン(イスラム正月)です。
2014年の去年は7月28~29日でした。
2013年の一昨年は8月8日~9日でした。
2012年は8月19日~20日でした。
小職が初めてインドネシアの地を踏んだ1979年は8月、独立記念日の
少し前だったと記憶しております。
小学生や中学生が学校毎に行進の練習をしておりました。
インドネシアへ渡って来たばかりの小職には一体何の練習なのか理解できませんでした。
食堂が日中閉まるので驚いておりました。
良く見るとく少しだけ扉が開いておりました。
言葉の解らない小職にはその意味が解りませんでしたが、兎に角食事が出来ることで
安心した覚えが有ります。
後日解った事ですが、断食をしているイスラム教徒に食事をする刺激的光景を
見せない様にする為の配慮でした。
タバコを吸うにも水を飲むにも見えない所でするよう友人に言われました。
36年後の今でも、断食期間中にレストランが窓に目隠し布を張っている光景を
目にします。
インドネシアの人々が、断食中の人々を思いやる微笑ましい光景です。
インドネシアの水を3年以上飲み続けると彼の国を忘れられなくなる、
言われる理由の一つでしょう。(勿論理由はこれだけではありませんが…)
 
断食中の楽しみはBUKA(開く) PUASA(断食) BERSAMA(一緒に)です。 
夕べのお祈りを終えたあと皆で一緒に食事をするのです。
大家族で…、職場の同僚と…、幼友達と…、恋人同士で…、
賑やかに食事を楽しむのです。
『断食での会食?』、
何となく違和感を覚えますが、細かい事に囚われず大らかにラマダンを楽しむのが
インドネシア流です。
この大らかさ、好い加減さがインドネシアの魅力であり、また大いなるストレスの
原因でもあるのです
 
 
1979年にはイスラム正月を終えて直ぐ、独立記念日の行列を見たと記憶しております。
つまり1979年と2012年のイスラム正月は共に8月だったのです。
という事は、イスラム正月は33年で一年を一周するのでしょう。
毎年イスラム正月の時期が11日位ずれますので、365日/11日=33年と算出
できます。
でも、その33年間x365日=12,045日間を、インドネシアの地で、インドネシアの
人達を相手に、泣いて、笑って、憎んで、愛して、生きてきたのです。
今になってみれば愛おしさも憎さもすべて恩讐の彼方ですが、その時々は遠い異郷で
一人悔し涙に枕を濡らしながら眠れない日々を過ごしたのです。
物理的に計れば33年間、12、045日間、289,080時間…、
書いてみればそれだけのことですが、その中にどれだけの悔しさ、愛しさ、憎さ、憎さが
有ったことでしょう。感情を抑えるべき断食中なのにほとばしる想いを抑え切れません。
地図や写真を眺めるのと実際にそこに住むのとでは天と地の隔たりがあります。
地図や写真を上から眺めるのは一方的にただ見るだけ、ノーリスクで観賞できます。
バリ島の観光スポットやホテルのプールを見て、『いいな~』、と思う事と同じです。
でも住むとなるとそうは行きません。
上から観た綺麗な景色も、一旦下に降りれば泥棒も居れば糞も有ります。
住むということは、綺麗でないものとも共生することなのです。
 
『血は見るもの嫌いさ、でも私の体の中に流れている…映画ライムライトにて』(チャップリン)
『糞を触るのは嫌さ、でも私の体の中から流れ出る…インドネシアのトイレにて』(神谷)
こんな当たり前の事を33年間体を張って学んで参りました。
8月にレバラン(イスラム正月)が来て、また8月に来るまでの33年間をインドネシアの地で
生きて参りました。 
愛しい、憎い、憎い、憎い…』
26歳から62歳まで、騙され、叩かれ、裏切られながら這いずり回って生きてきました。
決して絵葉書や旅行ハンドブックには現われない、リアル・インドネシアの風景の中で…
 
あと少しで36回目のレバラン(イスラム正月)が廻って来ます。
皆様と弊社インドネシア法人KIIS社スタッフのお陰で、今年はレバランを日本で
迎える事が出来てきました。 
KIIS社スタッフと一緒に謹んで御挨拶申し上げます。
 
『モホン・マアッフ(許してください)、ラヒール(外からも)、バティン(内からも)』
この一年間犯して参りました意識(外から)、無意識(内から)の過ちをお許し下さい。