Sana Sini Indonesia 


ふたたび スラマド橋を渡って     中島 苑子

 

10数年前 スラバヤでマドラのバテイックを買い その色に魅せられ

昨年ようやく、その工房村を訪ねました

私の旅はいつも行き当たりばったり  どこにあるかもわからず突進です

たどり着いたときはすでに夕方 作業は終わって、、、、

昨年の失敗はならじとスラバヤを早く出発

昨年の工房村を行く予定が、その日は金曜日 作業はお休みと、

コハルさんが、”それではバンカランにあるらしいので、、、” 

距離もぐっと近い工房へ行くと、丁度何回目かの色をかけたあと、

道路に布を広げて水洗いしているおねえちゃん

向かい側の工房では

バテイック制服を着た4人のかわい子ちゃんが下絵に蝋で描いています

そこへ屈強でハンサムな若者来て説明してくれます

工房の向かい側は、とてもお洒落なお店 

ここの工房で作ったバテイックがきれいに飾られています

積んである、、、のではないのです

後で同行の者に聞くと、水洗いしていたおねえちゃんはバテイックの制服に着替え

(私は同じ人だとは全く思えないほどかわいこちゃんに変身)写真パチリ

その後ヘルメットかぶり、バイクに乗ってアッというまにどこかへ

ゆったり描いている人あり、変わり身早くの人あり、面白く思いました

本当は長く滞在してずーっと見なければいけませんが、いつもつまみ見物です

 

そのあと、Air Mata ibuのお墓へ

数年前行ったときと同じで子どもとおばあさんに、お墓の入り口までまとわりつかれ、

これがなければいいのですが

この日は金曜日でもあったのか、大型観光バス3台でイブイブがお参りに来ていて、

これにも驚きました 橋が出来たおかげでしょうか?

ここの村はチークで作った家具が有名らしくベットなども沢山売っていました

又、行く道すがら出稼ぎで建てた巨大な家も沢山 個人で建てたモスクもあり

とても日本人にはできない宗教感かと思いました

帰り道、スラマド橋を渡る道、両側には、ずーっと土産店が並んでいます

孫への土産にTシャツとパンツのセットを買いました

お店の床は竹で編んであります ゆらゆら揺れます

このあたりもインドネシアらしいかなと

 

スラバヤへ戻り、インドネシア、ラヤの曲を作ったスプルットマンのお墓へ

 

入り口で門番の女の子に声をかけ、ぐるっと回って入口を開けてもらいお墓へ

 

なかなか広いです

床はタイル張り

そのまま上がったら、コハルさんに ”靴ぬいで!” と注意されました

ショッピングモールで、サト、ヌサ サト、バングサ ハリ、ムデイカ 青年よ進め

ハロハロ、バンドン等入ったCDを買い、今、何度も繰り返して聞くと

今までインドネシアと言っていたのが、耳で聞くと、インドネシャと聞こえます

こっちが本当かなと思ったりです

CDをかけ、遊びに来た留学生の奥さんと一緒に歌います

彼女曰く 小中学生のころよく学校で歌った 

あの時間はとても楽しく懐かしいと、、、   

 

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