役員のことば

会長  中島苑子
会長  中島苑子

私とインドネシア

入社以来インドネシアと東南アジア各地で木材の仕事に携わってきた主人と、お世話になっているインドネシアを訪れ、初めて接する外国の異文化の素晴らしさに深く感銘を受け、この国と人をもっともっと知りたいと思いました。
旅をしている間、私は言葉がわからないので主人の通訳で聞きたい事を尋ねましたが、直接聞けないもどかしさに、まず言葉からと帰国後主人の持っている本を読み簡単な単語を壁に張ったりしていました。
故人となられましたが会員の岡崎正さんと偶然日進の郵便局でお会いしPKINに入会させていただき現在に至っています。
入会直後PPI主催独立記念式典に参列し、その時のPPI会長SUWARNOさんの奥さんに会話のイロハを教えてもらい、それから1年単位で留学生の奥さんに我が家に遊びにきてもらい簡単な会話ですが話しをしながら、インドネシアのことを教えてもらっています。
本当は会話学校へ入ったほうが良いのですが、一人づつ友好を深めながら少しづつ勉強するほうが私には合っているからです。ただ半年くらいすると、どの奥さんもパートに行ってしまいなかなか上手くいきません。
昨冬甥と二人でこの何年かで知り合った家族をインドネシアに訪ね、私の会話も少しは通じると、嬉しくなりました。ただ始めて訪ねたときとは何か違う…外見的ですが国が豊かになり、消費文化、そして女性のイスラム化等。
数日前BBPTから半年CKCに来ていたARIさんからのe-mailには、人々の暮らしは苦しく、洪水があったり経済はいまだ悪く、と悲観的な便りでした。
数年先、主人が初めて木材の仕事で訪れたカリマンタンそしてアチェに帰った3~4家族を是非訪ねたいと思っていますが…
今、東海地区には大勢のインドネシア人がいますが、できたら皆全ての人と付き合うのが良いのですが、なかなか思うようにはなりません。1家族1留学生1研修生と友好を図ればすべてに通じると、小さな一歩ですが大切にしたいと思っています。

副会長 高田裕二
副会長 高田裕二

 

東京で学生時代を過ごしていた時、東京外大のインドネシア語学科の人と友人になったことから、インドネシアという国を知り、興味を持ち始めました。
 卒業時、「ジャパン インドネシア オイル」という会社に拾われたことによって、本格的にインドネシアと関わり始めました。(同社はインドネシア国営石油公社プルタミナの子会社であり、インドネシアの石油を日本に輸出する際の日本側の窓口となっていた会社です。)
会社には何人かプルタミナから派遣されたインドネシア人もいて、やはり仕事上多少は言葉ができなければ、ということでインドネシア語を習い始めました。(アジア・アフリカ語学院、上智大学、バライインドネシアなど。)
そうこうしているうちに、会社からジャカルタ事務所勤務を命じられ、約3年弱のジャカルタ生活を過ごしました。このジャカルタ勤務時代は私に、いろいろな意味で、強烈な影響を与えました。
その後、会社をやめ、名古屋に戻り、平成2年にインドネシア民工芸品専門店「スラバヤ」を開き、現在に至っています。少しでもインドネシアに興味や関心を持ってくれる人が増えることにお手伝いしたい、をモットーに頑張っていきたいと考えております。 これからも宜しくお願い致します。

副会長 高吉浩二
副会長 高吉浩二

 

高吉浩二、昭和29年生まれ、自動車関連の会社で海外関係の仕事をしています。
最初にインドネシアに行ったのは20数年前の20代はじめの頃、国際関係を勉強していて海外を見てみようと特に当てもなくふらっと出かけたのがマニラ経由バリでした。
わずか数日間で強烈なカルチャーショックを受け、いつかきっと帰って来ようと思ったくらいで、まさかこの様に深く関わることになろうとは予想しませんでした。
国際交流活動を永くやっていてその中でインドネシアに関わることもありましたが、2回目にインドネシアに行ったのは仕事でジャカルタへ、10年後でした。仕事の中では色々な国に関わりますが、ビジネスとしてはインドネシアが圧倒的に多く、私のインドネシア熱も影響しています。
数年前にインドネシアとの異文化の出会いや葛藤をテーマにした長編小説を書き、ある文学会で文学賞を受賞したのが私の特徴でしょうか。出版はしませんでした。 インドネシアの何を知っていると言うわけではありませんが、自分の一部でもありこれからも永く身近に関わっていく国と思っています。
インドネシアに関心のある人達が集まるPKINですが、互いに情報交換したり学び合う、時に励まし支援し合う、その様な楽しく有益な会になることを望みながら活動に参加しています。
今後とも宜しくお願いします。

名誉会長 門池啓史
名誉会長 門池啓史

 

名古屋市生まれ。
元々、外国に非常に興味がありました。 
1981年インドネシアの長期技術研修生を、わが社で受け入れたのが私のインドネシアとの係わりの始めです。以降16年間に渡り、自分の会社の他に、ここ中部地区のインドネシア技術研修生のお世話役をさせていただきました。とりわけ、1982年に初めてインドネシアを訪問した時の感動が、現在まで私の心の中に残っています。
微力ではありますが、いろいろな形で日本とインドネシアとの橋渡し役ができればと考えております。

趣味:フライフィシング・ジャズ・日本のR&B音楽・ラテン音楽・太平洋戦史研究