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インドネシア通信、『健気に生きる』…の巻      神谷典明


新聞やTVで安倍首相の日米首脳会談のニュースが流れます。
その度に安部さんの得意気な笑顔が映ります。
世界のリーダー、アメリカ大統領と差しで話し合い、
二人だけでゴルフが出来る偉大な日本の指導者、
岸首相-アイゼンハワー大統領以来の快挙を、なし得た孫の
得意顔がTVに踊ります。 これで歴史に名を残せました。

エアフォースワンの乗り心地はどんなものでしょう・・・
庶民には思いも及ばない雲の上の出来事です。
天上での出来事なので、一般庶民にはその食事にさへも
現実感が湧きません。まさに別世界での出来事です。

これが安倍首相ではなく他の首相だったら・・・、
小職もそう思ったでしょう。
しかし安部首相に対しては、もっと身近な感慨が持てるのです。
その理由は小職が安倍首相の御尊父、当時の自民党最大の実力者
安部慎太郎幹事長を乗せた車を運転したからです。
それは1978年の出来事でした。

当時小職は天龍木材に入社したばかりの新人で、
総務部に配属され社長秘書兼運転手を務めていたのです。、
大学時代自動車学校学費としてアルバイトで貯めた金は
キャバレーハワイでのドンチャン騒ぎと、玉本幼妻事件
検証の為のチェンマイ旅行に消えました。
大学を出て研究生名の下に就職浪人している間に、
やっと免許を取ったばかりのホヤホヤが、いきなり左ハンドルの
社長専用ベンツを運転したのです。
運転手本人がヒヤヒヤしながら社長を乗せているのです。
知らぬが仏状態でした。
そんなある日、地元選出国会議員熊谷ひろし氏の後援会旗揚げ
応援に浜松に訪れられた安部慎太郎自民党幹事長の送迎を
総務部長より命じられたのです。
当時の安部慎太郎幹事長は、その容貌から親しみを込めて
『政界の歌奴』と呼ばれてました。
運転中、助手席に座っているSPから、
『スピード出すな、前の白バイにぶつかりそうだぞ!』、
『もう少しスピードを上げろ、後ろの白バイが困っているじゃないか!』
と文句を言われながらも、
ルームミラーに映る幹事長の顔をチラチラ眺め、
『本当に歌奴に似ているな!』とニヤニヤしてました。

その頃安倍晋三氏は慎太郎氏の息子として南カリフォルニア大学
英語研修コースで学んでおられたのです。
全く知らない人とは違い、同年代で尚且つ若干の接点を有している
小職にとっては、雲の上の人ではないのです。
何となく、若干の、実感を共有できる人だったのです。

それが今では、
・俺がジャンビのホテルで一人淋しく朝飯を食べている同じ日に
あいつはアメリカ大統領の別荘で想像もつかない料理を食べ、
・俺が工場で汗を流しいる間に、あいつはトランプ大統領と
ゴルフを楽しんでいる。
・俺がガルーダのエコノミークラスでジャカルタへ帰るのに、
あいつはエアフォースワンに乗っている、
身近な存在と感じていただけに、その後の格差に愕然とします。
『同じ年月を経て来たはずなのに、随分差がついたもんだ・・・』

歴史に名を遺す、偉人と云われるようになる
・・・一つの生き様でしょう。
でも、一般庶民と云われる我々は毎日を生きることだけで一杯一杯、
そしていつの間にか還暦を超えてしまった。
・・・これも庶民の生き様です。

インドネシアにも必死で生きている多くの庶民が居ります。
歴史どころか、今日を生き抜くのに精一杯。
それでも不貞腐れず生きています。
笑いながら生きています。

人間も動物です。
生きる事そのものが、その存在意義なのです。
生きるのに精一杯といえども夢を持ちます。家族も作ります。
生きる張合いとしての夢、生きる潤いを与えてくれる家族。
これ等に囲まれて生きております。
毎日リヤカーを曳き、毎日ジュースを売り、毎日夜の街に立ち、
生を繋ぎ家族を養っております。
複雑な事情も抱えております。人間関係にも悩んでもおります。
それでも生きております。どっこい生きております。

生きているだけでなく、より厳しい環境下に置かれている人を
見れば、出来る範囲で助けようとします。援助します。
援助を受けるような境遇の人であっても、
より酷い境遇に喘ぐ人に対しては、躊躇なく救いの手を差し伸べます。
この崇高な行為をインドネシア語で『ゴトンロヨン』と呼びます。
自分の損得を考えず、恵まれない人に対しては反射的に援助する。
ゴトンロヨンの精神があるからこそ、日本では考えられない様な
過酷な境遇の人でも明るく笑って生きて行けるのです。
日本のごとく『隣は何をする人ぞ?』
そしてその挙句の『孤独死』と言った事件を耳にすることは
殆ど無いです。
金が無くとも周りからの手助けで生きて行けるのです。
体が動かなくとも乞食会社の社員として生かされているのです。
この壮大なお節介が『ゴトンロヨン』なのです。
ゴトンロヨンを敢えて和訳すれば『相互扶助』でしょう。
この理念が庶民の生活に息付いているせいでインドネシアには
貧乏は有りますが餓死が有りません。誰かが助けてくれます。
温暖な気候と相まって金無しでも生きて行ける国なのです。

インドネシア人は日本人を金持ちと思っております。
確かにインドネシア人よりは現金を持っていると思います。
日本人がブロックMで支払うカラオケ代金は、彼等2週間分の
給料に匹敵しましょう。
しかし、心の豊かさはいかがでしょうか?
家族を日本に置いて単身赴任で外国へ来て働かざるを得ない日本人。
隣の人に全く干渉しなくなった日本人。
お節介をしなくなった日本人。
どちらの心が豊かでしょう?



金も無い、名誉も無い、でも暖かい周りの人や家族に囲まれている。
病気になれば治療もろくに受けられないが、その代りチューブに
繋がれる事も無く『さよなら!』と皆に告げて逝く、
皆が泣く、そして時と共に忘れ、また健気に生きてゆく。
まさにインドネシアでは、生きてゆく事そのものが人生なのです。
生きてゆく為に生きている、
その動物的な生への健気さに小職は思わず頬が緩みます。
心がほっこりします。

インドネシア庶民の健気さは懐かしい感情を抱かせてくれます。
昭和30年代、貧しさの中で必死に生きていた大人達、
近所のお節介なおばさんや悪いことをすると怒るおじさんに囲まれ、
貧しくとも暖かい父母の下で兄弟と日々楽しみを分かち合って
生きていた幼き頃、日本人も実に健気に生きていました。
生きるために生きてました。
生きるために助けてました。
赤ちゃんの取り上げから葬式までご近所皆でやってました。
醤油も味噌も貸し借りしてました。
外出時には隣に『出かけるので頼みます』と声を掛け、
鍵も掛けずに家族みんなで出掛けて行きました。
『みんなで生きる』、
日本でもゴトンロヨンは有ったのです。

小職の目には、健気に生きるインドネシア庶民の姿に、
日本人が無くしてしまったかも知れない健気な昔の日本人が
ダブって見えるのです。
地位も名誉も要らない、
ただひたすら皆と一緒に健気に生きる大切さと嬉しさを、
インドネシア庶民は教えてくれるのです。

『人生とは、生きるためにみんなで生きて行くことだよ!』


追伸)
申し忘れました。
小職は三河は岡崎城外堀内側にある田町で生まれたチャキチャキの
三河っ子です。
司馬遼太郎さんが彼の著書『覇王の家』で書いておられます。
三河武士は質朴で困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる、
主に対しては忠実であり、城を守らせれば無類に強く、
戦場では退くことを知らずに戦う、不思議な小集団であった、…と。
そして小職はその流れを汲む者の末裔なのです。
長州人に対し、先祖の血が騒いでしまうのです。