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インドネシア通信

 :: 『事故りました』…の巻 ::     神谷 典明

インドネシア通信でインドネシアでの出来事や習慣、風習を皆様にお伝えしておりますが、今回は自分がその取材対象になってしまいました。

 
インドネシアで恐ろしいことの筆頭は暴動です。
周りに居る善良な人々が全て惨殺者に変わる恐怖!
この恐ろしさは言葉では到底言い表せません。
この恐ろしさは暴動に巻き込まれた者でしか判らないでしょう。
 
次に恐ろしいのはバスです。
何せ日本の神風ダンプに例えられる運転の荒い代表がこちらではなんとバスなのです。
道路を走っている時、バスが後ろに迫ったらまず道を譲ったほうが良いでしょう。
猛烈なクラクションと追い抜き…無謀を通り越して無法という表現がぴったりです。
バスとの衝突事故はまず死亡事故です。
ひどい時は何十人という乗客が一挙にミンチとなります。
『2台のバスが正面衝突して1台の長さになった』…という笑えない事故が街道では本当に起こります。
運転手の教育程度が低く人間の命を預かっているという自覚が薄い(全くない!)…
更にはバス会社も月給制ではなく出来制をとっていますので、『少しでも早く走り他のバスより一刻も早く前に進み乗客を 確保しなければ収入が減る』、とサルのごとく無教養な運転手は単純に思ってしまうのです。
最初から乗客の身の安全を確保しようと言う気が運転手にもバス会社にもないのです。
(酒酔い運転手や寝坊運転手が居る昨今の日本のバスが インドネシアのバスを笑うことは出来ないでしょうが…)
その結果、猛烈な神風運転となりよくぶつかるのです。
 
8月1日…
スラバヤの空港に着いてパートナーであるヨーマさんの出迎えを受け、彼の運転する車で市内へ向かう道すがらでした。
前の車が減速しながら右折しようとしたのでブレーキをかけながらその横をすり抜けようとした刹那、フワッと車が浮いたように持ち上がり、すごい衝撃を受け、半回転してそのまま道路中央まで吹っ飛ばされました。
まるでジェットコースターとグルグル回るコーヒーカップに同時に乗ったような感覚でした。
 
ハット気が付いて先ず思ったのは、
1)爆発するといけないので車から急いで外に出なくては…
2)その次に思ったのは外に出るのはよいがウジャウジャ
  居る野次馬にパスポートの入った鞄を盗られないよう
  用心しなければ、という事(長年の外国暮らしの成果!?)、
3)三つ目に思ったのは運転していたヨーマさんは無事か
  という事。
4)四つ目にやっと自分が怪我をしているかどうかという事。
これらの思考が一瞬のうちに頭を駆け巡りました。
 
外に出てみて初めて我が身に起こったことを理解しました。
後ろからバスにお釜を掘られその衝撃で車が飛び上がって前の車に追突し、半回転して止まったのです。
事故現場1
事故現場1
事故現場2
事故現場2
事故現場3
事故現場3
ぶつかってきたバス
ぶつかってきたバス

道路上でクシャクシャになった車を路肩で眺めている自分は果たして生きているのか、霊として眺めているのかわからない不思議な感覚でした。

死ぬということはこんな事かな…と肌感覚的に解ったのです。
その結果を申し上げるならば 『何も怖くはない』、という事です。
今、この場で死んでいても生きていても紙一重の差。
死んでいたとしても何ら不思議はない事です。
死んでいたとするならばこの野次馬を眺めているのは霊となった自分であり、これで一生双六の上がりだったのだ。
なんてことはない人生だったな…
まさか異国で死ぬなんて…
それでも好きなインドネシアだったからまあ良いか…
『志なかばでの死』…といってもそんなに悔しくはないな!
それにしても日本の家族にどう知らせようか…悲しむだろうな…
くだらない考えがぐるぐると頭を廻っていました。
 
これが事故で死ぬということです。
・一瞬で訪れる予期せぬ死
・心の準備も何も出来ない死
・本人も死んでいるとは気が付かない死
心がこの世に残りましょう…というより本人の死に対する自覚は全くないでしょう。
まだ生きているつもりでいるでしょう。
『黄泉帰り』という話題の日本映画があります。
その主人公の『葵』という女性は同乗していた車が崖の曲がり角を曲がる一瞬、対向車を避けようとして崖下に落ちそのまま亡くなってしまうのですが、本人はその一瞬を見ていないので、死んだという自覚がありません。
ないままにこの世の中に居続け、男友達とも会い、『その男を本当は愛していたのだ』…と気が付いた時、
初めて自分が死んでいることを悟る…という切ない物語です。
 
この映画のような感覚が本当にあり得るのだと言う事を今回の事故は小生に教えてくれました。
 
果たして今、ホテルでこの原稿を書いている自分は本当に生きているのでしょうか…?